伝王仁墓

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徳偲び

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   王仁墓や


 1731年頃(江戸時代)、京都の儒学者・並川五一郎が、枚方市禁野の和田寺が所蔵する古記録を調べ、藤阪に王仁の墓があることを知り、その地を踏査して自然石の立石を発見、これを王仁博士の墓としました。以後、村人たちによる王仁博士を顕彰するための諸活動が続き、1938年に大阪府史跡13号に指定されました。JR学研都市線の長尾駅から「王仁公園」への案内板にそって20分ほど坂道を登ると王仁墓の石碑に遭遇しますが、王仁系氏族の祖といわれる王仁の墳墓であるかどうか、疑わしいものとみる説もあります。

 王仁一族の支族が枚方に居住し、その祖(王仁)の墳墓を築造し、祭祀したということも考えられますから、墓だけ枚方にあるという疑義は説得性がないように思います。というのも、東大寺の大仏造立に陸奥の国から黄金900両を寄進したことで知られる百済王敬福のゆかりの寺社が百済王神社、百済寺として枚方にその遺跡がありますが、その地がかつては船氏の邸宅であったといいますから、王仁の墓がその近くにあってもおかしくはないと思います。ちなみに、「王仁塚の環境を守る会」という団体が王仁墓の清掃に奉仕しています。

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このページは、KSYが2010年4月17日 23:38に書いたブログ記事です。

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