MBCテレビ局「王仁特番」取材同行記〔3日目〕

| | コメント(0) | トラックバック(0)


〔3日目〕5月9日(日) 御幸森天神宮「難波津の歌ハングル歌碑」、東高津宮「王仁神社」、高津宮
 「難波津の歌ハングル歌碑」がある御幸森天神宮を訪問しました。和歌に造詣が深く、短歌集も出版されている森田眞臣宮司に「難波津の歌」を朗詠していただきました。その後に、私も韓国語に翻訳した「難波津の歌」を韓国語で詠みました。
 森田宮司は、「難波津の歌」の歌碑が建立されたのを記念して、紅梅と白梅を歌碑の横にそれぞれ植えたそうです。「さくやこの花」が梅の花だから、歌碑の意に合う梅の花を添えたということです。数年後には匂いもふくよかな紅白の梅が満開になることでしょう。
 東高津宮は大阪市天王寺区東高津町に鎮座し、摂社に王仁神社があります。笠谷義弘宮司からお話がお聞きできたのは幸いでした。王仁神社には王仁博士の木像が祭られているということで、11月の祭日の日にしか見せないが、特別な計らいで見ることができました。その特別な計らいにMBCのスタッフも大喜びで、ビデオカメラに収めていました。
 当宮は祭神が仁徳天皇で、その仁徳天皇を教えたのが王仁博士であり、王仁博士を学問の神様として祭っている。論語と千字文を持ってきて、全国に普及し、日本人に大きな影響を与えた。
 1600年前の仁徳天皇の時代は、桃の木とか梅の木がたくさんあって、神社はもともと今の近鉄上六駅あたりあった。社務所の前に貼ってある地図がそれを示している。仁徳の皇居は何処かということで、明治時代に大論争になったが、結局は高津高校のあたりを皇居跡と決め、校庭に碑が建てて決着させてしまった。しかし、私どもはやはり、近鉄百貨店があるそこらあたりにあったと信じている。昔はここらは入海だったから、人家などあるはずはない。
 大阪の空襲でこの神社も焼けた。王仁博士が詠まれた「難波津に咲くやこの花」の歌碑も焼けてもろくなった。再建するときに仁徳天皇と磐之姫を一緒に祭り、摂社は稲荷社のみだったが、摂社である王仁神社の再建の機会を待った。今上陛下(平成天皇)が即位されたとき、その記念として王仁神社を復興し、記念誌も作成した。王仁博士のお祭りや行列があるなら、当宮を出発地にするのがふさわしいと思う。
 この後、高津宮を訪れました。大阪市歌の石碑があって、その歌の三番目に「さくやこの花」の章句があります。

 


-DSC06107.jpg

 御幸森天神宮の森田宮司(미유키모리신사의모리타궁사와)

-DSC00019.jpg

摂社の王仁神社を再建した東高津宮の笠谷義弘宮司(左)(세쓰(攝)사의 왕인신사를 재건한 히가시고우즈큐의 가사타니요시히로 궁사 )

トラックバック(0)

このブログ記事を参照しているブログ一覧: MBCテレビ局「王仁特番」取材同行記〔3日目〕

このブログ記事に対するトラックバックURL: http://korea-japan.info/mt/mt-tb.cgi/63

コメントする

アーカイブリスト

2012年10月

  1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31      
  • 444net
  • 444net

このブログ記事について

このページは、KSYが2010年5月10日 04:19に書いたブログ記事です。

ひとつ前のブログ記事は「」です。

次のブログ記事は「MBCテレビ局「王仁特番」取材同行記〔4日目〕」です。

最近のコンテンツはインデックスページで見られます。過去に書かれたものはアーカイブのページで見られます。