MBCテレビ局「王仁特番」取材同行記〔5日目〕

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 〔5日目〕 5月11日(火)  飛鳥戸神社、西琳寺
 羽曳野市飛鳥にある飛鳥戸神社を地元の仲村要司さんに案内していただきました。飛鳥戸神社は百済武寧王の父とされる昆伎王を祭る神社です。飛鳥大神と称される地主神です。仲村さんは、次のように話されました。
 鳥居からこっちが宮地で10ヘクタールぐらいの社地だったが、今は村人の住宅になっている。昆伎王を祀る神社であったが、明治時代に壷井八幡宮に預けられ、素戔鳴尊を祭るになった。その後、昭和になって元に戻した。10月には祭礼があり、壷井八幡宮の宮司に来てもらう。月の初めにはお参りする。
 村民のなかには渡来人の子孫という意識を持つ人もおり、隣村には真銅とか金銅とかの渡来系の名前も多い。顔かたちも似ているから、親近感があるのは当然だ。私は現在、羽曳野市役所を定年退職し、ブドウ園を経営している。そうした土地を残してくれた先祖に感謝している。
 仲村さんが経営しているというブドウ園を見学することになりました。途中、飛鳥ワインの製造工場を訪れ、1500円の白ワインを買い求めました。ここらは、いにしえは「飛鳥」と呼ばれた地域で、奈良の飛鳥以前に栄えた地です。奈良の飛鳥が生じたため、「近つ飛鳥」と呼ばれ、奈良は「遠つ飛鳥」と呼ばれました。飛鳥ワインは奈良の産ではなく、河内の産です。
 風香るブドウ園で、風を受けていますと、「飛鳥戸郡の人田辺史伯孫の女は古市郡の人である書首加竜の妻である。伯孫は女が男の子を生んだと聞いて、婿の家へお祝いに行き月夜に帰ってきた」という『日本書紀』の記事が思い出されました。関晃著の『帰化人』に「田辺史が実質的には帰化人であることは間違いないであろう」とあります。田辺史(たなべのふひと)も書首(ふみのおびと)も渡来人ですから、渡来人の名族同士が結婚していたことがわかります。書首(ふみのおびと)は王仁博士を始祖としていますから、王仁博士の子孫がこの地でも繁栄していたのでしょう。この地の人たちは、王仁博士のDNAを持っているかも知れないと思うと、無性に愛しく感じてしまいました。
 昼食をとった後、誉田八幡宮と隣接する応神陵を散策することになりました。私は疲れて車の中で待機しましたが、応神帝は、王仁博士であり、辰王であるという話を、『博士王仁の実像』の著者である韓登先生からしばしば聞いていますので、定説とはるかにかけ離れた説ではありますが、応神帝がイササワケノミコト(天日槍)と名前を交換したこと、ウジワカイラッコがアマノヒボコ(天日槍)に通じる血族であるという話などを参考にしますと、あるいはそうかもしれないと思うようになりました。
 その後、西琳寺を散策しました。かつては巨大な寺院だっといわれる西琳寺。その地一帯を支配したであろう王仁博士の子孫、西文氏(かわちのふみし)の氏寺としその栄華を誇ったのでしょう。その遺跡が、日本一大きな礎石で、百済式伽藍の礎石だといわれています。MBCのスタッフは、その礎石を、ビデオカメラに収めていました。

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採りたてのえんどう豆と仲村要司さん(右)

(뽑은지 얼마 안 된 완두콩과 나카무라씨 (오른쪽)

 

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飛鳥集落を案内する仲村要司さん

(아스카촌락을 안내하는 나카무라씨)

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近つ飛鳥の丘陵から飛鳥戸神社を探す

(치카쓰아스카의 구릉으로부터 아스카베신사를 찾는다 )

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飛鳥戸神社の鳥居の前で

(아스카베신사사의 토리이 앞에서)

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このページは、KSYが2010年5月12日 04:55に書いたブログ記事です。

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